付かず離れずとは。
今までの解釈
人間関係において、今までは「絶妙な距離感を保つ事」と解釈していた。
そのため、そういう悩みを言ったり聞いたりした時には「それが一番難しいんだけどな」と思っていた。
私、意外と人見知りで、誰とでも気軽に話ができるというタイプじゃない。(よく営業の仕事続けてるな…)
だから、結構人間関係で悩むし、会社の人から「お前は損してる」とか「誤解されやすいタイプだよね」って言われる事が多い。
今思っている仮説
絶妙な距離感を保つ事は難しく、どうやら逆の発想なのではないかと思っている。
毎日頻繁に顔を合わせる人と完全に距離を置こうと思うと、転勤や引っ越しが必要で、もともと嫌いな人を好きになったり逆にすきになってもらうのは難易度が高い。
言わんとしている事自体は結局付かず離れずだが、その定義は「わりと仲が良い」から「興味はないけど便宜上あいさつはする」ぐらいまでの広範囲と捉えるべきで、ちょうど真ん中ぐらいの一点突破を狙うから難しくなり、更に悩むという悪循環に陥るのではないか、という仮説。
結論
人間関係において付かず離れずがちょうどいいのは確かである。
しかし、絶妙な距離感なんぞを保つ必要はなく、「少し仲良くなってきた」「やっぱり嫌い」「意外と喋れるかも」「やっぱり生理的に無理かな」の繰り返しで良い。
距離感を一定に保つ必要はなく、好きと嫌いの間をフラフラしていいし、むしろそれが自然であると捉えるべき。
自分はこの人は嫌いだと決め込んでしまうと、もし優しくされたり、その人の良い面を見た時に、初めに決め込んでしまった事を勝手な事実認定としてしまい、逆に言動に困ってしまう。
(会社員やってると「こいつ気持ちわる!」って思いながら、笑顔で「あざ~す」って言えちゃうようになってきたけど)
優しくされたなら喜んで感謝すればいいし、嫌いだった人の良い面を見たなら、自分の感じるままに印象を変えればいいだけなのに。自分が過去に嫌いと思ったことは間違いじゃない。ただ、自分のその時の感情のままに相手への印象が変わったなら、それも間違いじゃない。過去の自分の思いを大事にするのと、相手の印象が変わる事を否定する事は違う。
逆も然りで、嫌いでい続けるのは比較的簡単で、好きでい続ける方が難しい。好きで友達や彼氏・彼女になったとしても、無理に好きでい続けるより、少し違うと思うなら少し距離を置くべき。
女子の「うちらずっと友達だよね!」っていう、あの感じ好きじゃない。「それはお前の今後の言動によるわ」と思ってしまう。(俺が男だからか?それとも心が歪んでいるのか?)
要は人間関係なんか、ほぼぜ~んぶ付かず離れずの関係なので、本当に大切な人以外はある程度適当にでいいんではないかい?という結論。
見返りを求める自分
運転中に他車に道を譲る時。
時間的余裕と精神的余裕がある時。
譲ると決めたのは自分なのに、会釈やハザードがないとイラッとしてしまうのは、見返りを求めているのか?と、ふと思った。
いや、見返りではなく、ただ感謝してもらえば十分で、ほんの少しでも誰かの役に立ったという気持ちになれればそれで良いのだ。
問題なのは、もし感謝されなかった時に、プラマイゼロではなく、損した気持ちになること。損した気持ちになるぐらいなら、初めから人の為になる事なんてしなければ良いと思ってしまう事。
誰にも感謝されず、気づかれもせずに人の為になることをし続けられる人なんてそうそう居ない。きっとどこかで心は折れてしまう。
良かれと思って起こしたアクションも気づかれなかったり、時には迷惑とさえ思われてしまう事もあるかもしれない。
自分がそれで傷ついたり気が滅入ってしまう事は、誰でも分かるはずなのに、知っている筈なのに、誰かの善意を見逃していないか?
人に優しくする事は、こちらから積極的にアクションを起こす事だけじゃなく、人の善意を見過ごさない事、ではなかろうか。
☆結論
・大半の人は損したくないので、必要以上に人の為になることはしない。
→だったらやり続ける人はきっと貴重で、必ず求められる人になる。
・良かれと思ってやってくれている人に、きちんと感謝の気持ちを伝えられるかは、意識的にその人の行動を見る必要がある。
→自分が行動をしていれば、人の行動もよく見えるはず。
・きっと誰かが見てくれていると思っても、そこまでに時間が掛かってしまえば、心は折れてしまう。→だったら、少なくとも人にそんな思いをさせてはいけない。
・人生の豊かさのパラメーターは感謝された数、求められた数。
→それ即ち、感謝されるであろう事、求められているであろう事をどれだけやり続けられるか。
・人が見てなくても、気付いてもらえなくても、感謝されなくても、それでも謙虚にやり続けてみる。
少し仕事でやり始めてみた。
・チームのチャット等で、特に若手の発言やアクションを放置しない事。何かしらリアクション、返信をしてあげる。
・上司の指示や投げかけに対しても同様、時には反対意見でもリアクションすることで、ディスカッションにもなるし、より良い方法や施策は生まれる。
・ほんの小さな善意をどれだけ拾い集められるかを意識する事。まずは家庭の中から。
なかなかガンジー的発想に落ち着いてきてしまったが、お金だけしゃない幸福度を高められるヒントを見つけたような気がした15の夜。
早くもご無沙汰になってしまいました。
早々に三日坊主を発揮してしまいました。
続けるって大変。
内容の良し悪しよりも続ける難しさよ…
大したことじゃなくても書き続ける事が大事なので頑張ります。
年末年始の活動について
活動と言えるほど大したことではないが、証券口座を開いてみました。
つみたてNISAしてみよかなと。
色々とお金のことを見直そうかと。
①保険の見直し
②預金だけじゃなくて資産運用をしてみよう
③月々の出費の洗い出し
ママと少し話し合ってみたよ。プチ家族会議。
ジュニアNISAもしたいし、子供にある程度お金は残してあげたいし。
取り急ぎ、今月中に生命保険を見直してみようかしら。
愛郷ぐんまプロジェクトについて
話のまとまりがないが、1月か2月に県内で家族旅行に行こうかと計画していたが、1月末まで延長予定だった愛郷ぐんまプロジェクトが当面停止になってしまいしたね。
【1/19(水)宿泊分より当面中止】愛郷ぐんまプロジェクト第3弾「宿泊キャンペーン」 | ググっとぐんま公式サイト|群馬の観光・イベント・名産や世界遺産情報 (gunma-dc.net)
こんな状況なので仕方ないかと思うけど、やっぱり残念です。
毎年スキー場に行って温泉に泊まって帰ってくるというのがプチ恒例行事となっていた我が家ですが、今年も愛郷ぐんまで行こうと思っていたのに。。。
宿もだいぶキャンセルになってしまうと思うし、また経済が止まってしまう懸念と感染の問題と、早く落ち着いて欲しいものです。
前橋こども公園
お気に入りの公園
前橋こども公園です。
前橋こども公園 | 前橋児童文化センターがリニューアルオープン! (dan-b.com)
前橋近辺に住んでる人には、まぁよく知られていますね。
とにかく子供が好きなものが盛りだくさん。
前橋市は公園が多くてうらやましい。。。
アスレチック
ふわふわドーム
汽車まである
公園全体が交通教育ができるようになっており、信号や横断歩道で構成されています。
ゴーカート(1回100円)
小さいお子さん向けの足こぎカーもあります。
シートを敷いてお弁当を食べるスペースもあります。
子供が夢中で駆け回ること間違いなしです(猫まっしぐら)
欠点は、知名度も高くあまりお金をかけずに子供が長時間遊んでくれるので、休日はかなり混みます。
ふわふわドームとか密集しすぎて、密です。びょんびょんすると隣のお友達と衝突しそうで、目が離せません。小さいお子さんは大きいお兄ちゃんに踏み潰されそうでハラハラします。
ゴーカートは更に混みます。だって、楽しいもん。大人も普通に楽しめます。
ただ、保護者が一人だと辛いかもしれません。ゴーカートに並んでる時間が長いので、子供が飽きちゃうし時間がもったいない。子供も一緒にきちんと並ぶべきという倫理観はさておき、保護者が一人列に並びつつ、もう一人の保護者がその間に他の場所で遊ばせるのが効率よきです。
それでは、また。
ブログはじめてみました。
徒然なるままに…
兵庫県に生まれ、就職後の配属で群馬県に降り立ち、必死こいて仕事して、
結婚して二人の子宝にも恵まれました。
上の子が小学校に入る前に夢のマイホームを手に入れ、さて次のイベントは?と考えた時、ふと「このままではアカン!」と思い始めました。
厳密には上の子の保育園の卒園式で涙しつつ、これから子供のイベントを繰り返しながら、ただ生きていくだけのような気になり、今のまま仕事行って帰ってきてメシ食って寝ての繰り返しで毎日過ぎていくだけの人生。
このままでええのか?あかんやろ。
何すれば人生楽しくできる?転職?いや収入面で今より良くなる保障ある?
いや、やってみんと分からんやろ。
とにかく平日仕事頑張って、休日家族との時間を大切にすればええんちゃう?
単純にそれだけで幸せ?
人生一度きり。好きなことやって生きていきたいやん?
それって素敵やん?(もはや死語)
好きな事だけやって生きていけるほど人生あまくないよな。
もちろんそーよ!(板尾の嫁)
さて、どうするか。
何から手を付けるか。
そんなこんなで
とりあえずブログ始めてみました。
ブログをやってみたかった訳でもないけど、自分の吐き出したい思いとか、今の自分の出来事や日々を綴ることで頭が整理されて、求めるものがわかってくるかな、とか思ったりラジバンダリ(もはや見る人の年齢層とか知ったことか)
とは言え、
多少は人の役に立つような情報を発信できればいいなぁとは思っておるのですよ、こんな私でも。
マジメな話、仕事では営業マンやってて、まぁ若い頃は(今だって心は14歳よ)結果を出したくて、自分本位というか会社本位というか、売りたい物をできるだけ高く売ることが正しいと思ってました。とにかく利益を上げることが正だと本当に思ってました。でもね、子供ができたからなのか、そもそも営業マンに向いてないのか、人に喜ばれてナンボ、役に立ってナンボとマジで思うようになりました。
仕事について思いふけることが増えて、人生論にまで飛躍して。
結論、「死ぬ時に本当に悔いなく生きたと思えるか」が最大のテーマだと行きつきました。
今のところ
悔いなく死ぬ為にやらねばならん事、そう思われないといけない事。
これはマストというもの。
①嫁ちゃんに「パパと結婚してよかった」と言ってもらう
②子供たちに「パパの子供に生まれてきて良かった」と言ってもらう
③「こいつと出会えてよかった」と思ってもらう人をどれだけ増やせるか
→人生の価値は影響を与えた人の数で決まる的な事を武井壮が言ってた。
要は仕事も夫もパパ業も頑張らんといかんということです。
それでは、また来週。
(来週か再来週か明日か分からんけど)