見返りを求める自分
運転中に他車に道を譲る時。
時間的余裕と精神的余裕がある時。
譲ると決めたのは自分なのに、会釈やハザードがないとイラッとしてしまうのは、見返りを求めているのか?と、ふと思った。
いや、見返りではなく、ただ感謝してもらえば十分で、ほんの少しでも誰かの役に立ったという気持ちになれればそれで良いのだ。
問題なのは、もし感謝されなかった時に、プラマイゼロではなく、損した気持ちになること。損した気持ちになるぐらいなら、初めから人の為になる事なんてしなければ良いと思ってしまう事。
誰にも感謝されず、気づかれもせずに人の為になることをし続けられる人なんてそうそう居ない。きっとどこかで心は折れてしまう。
良かれと思って起こしたアクションも気づかれなかったり、時には迷惑とさえ思われてしまう事もあるかもしれない。
自分がそれで傷ついたり気が滅入ってしまう事は、誰でも分かるはずなのに、知っている筈なのに、誰かの善意を見逃していないか?
人に優しくする事は、こちらから積極的にアクションを起こす事だけじゃなく、人の善意を見過ごさない事、ではなかろうか。
☆結論
・大半の人は損したくないので、必要以上に人の為になることはしない。
→だったらやり続ける人はきっと貴重で、必ず求められる人になる。
・良かれと思ってやってくれている人に、きちんと感謝の気持ちを伝えられるかは、意識的にその人の行動を見る必要がある。
→自分が行動をしていれば、人の行動もよく見えるはず。
・きっと誰かが見てくれていると思っても、そこまでに時間が掛かってしまえば、心は折れてしまう。→だったら、少なくとも人にそんな思いをさせてはいけない。
・人生の豊かさのパラメーターは感謝された数、求められた数。
→それ即ち、感謝されるであろう事、求められているであろう事をどれだけやり続けられるか。
・人が見てなくても、気付いてもらえなくても、感謝されなくても、それでも謙虚にやり続けてみる。
少し仕事でやり始めてみた。
・チームのチャット等で、特に若手の発言やアクションを放置しない事。何かしらリアクション、返信をしてあげる。
・上司の指示や投げかけに対しても同様、時には反対意見でもリアクションすることで、ディスカッションにもなるし、より良い方法や施策は生まれる。
・ほんの小さな善意をどれだけ拾い集められるかを意識する事。まずは家庭の中から。
なかなかガンジー的発想に落ち着いてきてしまったが、お金だけしゃない幸福度を高められるヒントを見つけたような気がした15の夜。